2010年06月22日
ニセコ24時間テレビ^^

ニセコ24時間テレビ6月 26日(土曜日) 夜7時スタート
~27日夜7時までもうすぐはじまるので^^す
今回 柊 のえるも一肌ぬぎぬぎして>、<協賛てか~お手伝いをと・・地元名産品を

どかんーーと^^
送ります^^そこで^^‘‘広島風お好み焼きのウンチクを少し・・^^‘‘長いかな??^^‘‘主食の米が不足した戦争時代に子供のおやつだった一銭洋食を元に野菜などを増やしたものがお好み焼きの始まり。2006年現在、広島市だけで800軒以上(1992年中国新聞調べからの推定)、広島県内には2000軒あるといわれる。1950年頃に発生した屋台街(後にお好み村になる)で開業したみっちゃんの井畝井三男と善さんの中村善二郎が広島風お好み焼きの元祖と言われている[出典 1]。その他、初期のお好み焼きの屋台の流れをくむ店は麗ちゃん、へんくつやなどがある。1950年当時のお好み焼きはねぎ焼きに近い物であった。
戦争や原爆で夫を亡くし、自宅の土間を改造して店を始めた女性も多く「〇〇ちゃん」という屋号が多いのはその名残りである。また、1963年に中国地方を襲った昭和38年1月豪雪で、中国山地の農村から一家で離村し、高度経済成長期の広島市に移住した農家の主婦が開業した例も多い。現在も町の小さなお店に、老婦人が一人で焼く店舗が残るのはこの理由もある。昭和40年代頃までは、家から卵や肉をお店に持っていって入れてもらう事が出来た。現在は卵や肉は、基本で入っている場合が多いが、昔は野菜とそばだけ、あるいは野菜だけも珍しくはなかった。この頃の野菜だけの値段は250円程度だった。またお店で食べず、家に持って帰る場合は家から平らな皿を持っていった。今はプラスティックのトレーが普及しているが、当時はまだ無かったため皿は必需品だった。この皿に薄くソースを塗ってお好み焼きを置いた。まだラップの無い時代のため、その上から新聞で包んだので、持って帰ると新聞がソースだらけとなった。・・


2010年06月13日
空のすみに。

クヌートキャッスルは崩れ落ちて跡形もなく海にしずんでしまった。マッドサイエンスのウサジィ~~ジィに呪文の言葉を言われてしまったからか。ま^^あいいよね気楽にいこう^^

SFをブログでやってみよう^^と思い書きはじめたいと^^誰かヒントください^^‘‘

話はクルとなですけど^^二セコ24時間楽しみです^^チュンさん深夜とかに柊と華さんお話させて^^この頃 華さんのアシスタント
をはじめて^^‘‘お話大好きな柊です^^どうかな?マジに^^‘‘